佐渡観光を旅しよう【巡る】
もとは順徳上皇の第二皇女・忠子女王誕生に際し鎌倉幕府によって築かれた仮殿の場所で、野菖蒲が咲き乱れる様子を見た順徳上皇が菖蒲殿と命名されました。18歳で亡くなった忠子女王を祀り、のちの後深草天皇の時代に「二宮大明神」として社殿が築かれたといわれます。境内には忠子女王の遺髪を祀った「菖蒲殿」と宮内庁管轄の御墓所があります。また社殿の南東には木々を背にした茅葺き寄棟造りの能舞台が建っています。
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夏には大佐渡を眺めながら海水浴を楽しめる住吉海水浴場。 防波堤に囲まれているから、静かでやさしい波と透明感抜群の 海水でファミリーからカップルまでお楽しみ頂けます。 季節外れの浜辺は人影も少なく、優しい波の音を聞くには もってこい。 白い砂浜は踏みしめるとギュッギュッと心地よい音がします。 波の音、鳶の鳴き声、キラキラと光る波打ち際・・・ そんな浜辺が寿月館から歩いて行けます。
河原田商店街から歩いて2分ほどの海水浴場。真野湾にいだかれた波穏やかな遠浅の海岸。佐渡各地へのアクセスも便利な中央エリアに位置し、シーズンには多くの人々で賑わいます。徒歩圏内に飲食店や宿泊施設が多数あるので観光拠点にも最適。隣接する松林の中にはフリーサイト「窪田キャンプ場」もあります。
新潟県佐渡市河崎にある佐渡仏舎利塔は昭和56年(1981年)5月3日に落慶法要が営まれている。この仏舎利塔のデザインはドーム部分の下に三重の八角形の裳階を付けた八角塔となっており、他の大岡作品仏舎利塔では見られない珍しいデザインである。
佐渡ゆかりの民俗学者・宮本常一氏の提案により設立。建物は、大正9年築の旧宿根木小学校です。主に民俗資料を展示しており、南佐渡の漁業や懐かしい暮らしのアイテムなど、その数約30,000点余り。隣接の展示館では実物大の千石船「白山丸」を公開中。安政5年(1858年)に宿根木で建造された「幸栄丸」を当時の板図をもとに復元したものです。
佐渡歴史伝説館は、800年昔の世界へとタイムスリップし、佐渡ヶ島の歴史を皆様に体感して頂くミュージアムです。 『佐渡の歴史』は全八景、順徳天皇・日蓮聖人・世阿弥が流罪となった方々の悲しい歴史、 そして佐渡の人々が受け継いできた伝統のルーツを、佐渡旅行の中で感じ取って頂けたらと思います。
佐渡金山は、1601年に山師3人により開山されたと伝えられています。 1603年には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ、小判の製造も行われ江戸幕府の財政を支えました。 1869(明治2)年に官営佐渡鉱山となり、西洋人技術者を招いて機械化・近代化が図られました。 1889(明治22)年には、宮内省御料局管轄の皇室財産となり、模範鉱山として日本産業の近代化に貢献しました。 その後1896(明治29)年に当時の三菱合資会社に払い下げられ、日本最大の金銀山として拡大発展を遂げました。 平成元年3月(1989年)残念ながら、資源枯渇のため操業を休止し、400年近くに及ぶ長い歴史の幕を閉じました。
のどかな海が広がる赤泊の幅150mの人工養浜。海水浴に適した透明度の高い海で、白い砂浜が印象的。きれいでコンパクトな浜辺では砂遊びもでき、小さなお子様連れでも安心です。日帰り温泉を併設した宿泊施設「サンライズ城が浜」に隣接しているのも魅力。海水浴のあとは、さっぱりと温泉も楽しめます。
畑野から多田に抜ける181号線沿い、小倉ダム近くの山の傾斜に小さな田んぼが並んでいます。 佐渡の代表的な棚田で、江戸時代に金山の繁栄に伴う人口増加に応じて開墾されたといわれています。休耕田や荒廃田になりかけた時期を乗り越え、平成20年頃からは棚田オーナー制度を取り入れながら管理・保全活動に取り組んでいます。
椿尾石工の作という歴史ある狛犬の先には、カシやタブなどが生育する広い境内。室町時代、西三川の地頭本間山城入道の建立と伝わります。ご神体は本殿裏にある石の柵に囲まれた御食石(みけいし)。神の降臨する場として神聖視されており、神事もこの石に対して行います。付近から「子持勾玉」なども発見され、古代祭祀遺跡としても貴重な存在です。
岩首地区の標高350mを超える山間に広がる棚田。江戸時代ごろから受け継がれたもので現在残る田んぼは460枚ほど。急峻な地形を活かしきる大小の変形田が、天空に昇る龍のようにつながっています。春先、水を張った棚田に朝日が差す光景は人々を魅了します。展望小屋からの眺望も見事。
鎌倉幕府から赦免された日蓮聖人が船出した「真浦の津」に建ちます。この地の言い伝えによれば、聖人が沖に向かう船の上から朝日に向かって合掌すると、波間から「南無妙法蓮華経」の7文字が浮かび上がったとされています。真浦地区は日蓮聖人ゆかりの地として、多くの伝説が残り、「日蓮堂」「日蓮洞窟」などの霊蹟が点在しています。
海を臨む山間に全体で約20町歩ほどの大小の棚田が広がります。高い標高で生まれる昼と夜との寒暖差、山の清水、片野尾の人々の愛情がお米のおいしさにつながっています。また、佐渡の中でも最後の野生トキが生息した豊かな自然環境を誇る片野尾。ビオトープづくり、無農薬、減農薬のお米づくりに今もなお継続して挑戦しています。
商店街から車で20分ほどですが、茅葺屋根の家が残り、昔話のような世界が広がっている猿八。佐渡の秘境と呼ばれる里山の風景に棚田が溶けこみます。 経塚山(標高636m)の澄んだ沢水を引き込んだ自然流水で栽培しており、その水は今も家庭で飲み水として使われています。清らかな環境で栽培され、丁寧に仕上げられたお米は格別の味わいです。
相川に伝わる伝統工芸を学べる体験施設。金山から採土した陶土を使う無名異焼き(むみょういやき)のロクロ体験や、古い布をネマリバタで織る裂織(さきおり)をスタッフが丁寧に指導してくれます。佐渡の作家による陶芸、裂織の作品、さらに文弥人形も展示。「北沢浮遊選鉱場」「相川郷土博物館」などが建ち並ぶ観光エリアにあります。
昭和31年開館。御料局(明治憲法下で皇室財産を管理)佐渡支庁を活用しているため、屋根瓦は菊の御紋入りです。建物は国指定史跡。1階から3階までの展示室には、金山と佐渡奉行所関連、相川遊女の道具類、美術品、民俗資料、さらに考古関連などを紹介。金銀山とともに歩んだ町の濃密な歴史と出会えます。
佐渡では数少ない4kmにおよぶ長い砂浜が特長。透明度が高く、遊泳区域も島内最大。市街地から離れており周囲に人家もありません。遠浅ですが、自然のままの「海らしさ」を満喫できる環境が最大の魅力。隣接してフリーキャンプ場やバンガロー村があり、佐渡観光の拠点としても注目の海水浴場です。
831年の開基と伝えられる久知河内集落の古刹には木造阿弥陀如来坐像と銅鐘が収蔵庫に眠っており、どちらも国の重要文化財。木造阿弥陀如来坐像は平安後期の作といわれています。銅鐘は13世紀頃に若狭(福井県)の海底から引き揚げられ、のちに長安寺に寄進されたと伝えられています。日本に47口のみ現存する通称・朝鮮鐘の1つであり、新潟県内では唯一の現存例。総高107.5cm、口径61.2cm。精緻な意匠の龍頭や唐草模様が目を引きます。
順徳上皇上陸の地とされる恋ケ浦。真野湾とその先に望む大佐渡山脈を背に4つの碑が建っています。「いざさらば 磯打つ波にこと問はむ 隠岐のかたには何事かある」と、父帝・後鳥羽上皇を思う和歌を刻んだ「恋ケ浦碑」、地元豊田の人々との交流を伝える「順徳上皇の稗粥物語碑」など、ゆかりの碑が並びます。
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棚田